2013年12月09日

【ネット記事】祖母の死を看取った若き医師の決断


ブルームバーグ日本語版です。



7月に記者自身の祖母のエピソードを紹介した記事が出たのですが、今回は33歳医師とその祖母の話。

祖母の死を看取った若き医師の決断-なぜ栄養チューブを避けたか - Bloomberg

徳竹康二郎氏 (33)が医師になりたいと初めて思ったのは中学生のときだった。最初の聴診器を祖母に買ってもらった。その約10年後、医師として祖母の死を看取ることになる。

消化器内科医になった徳竹氏は、担当医から回って来る高齢患者の胃に栄養チューブを入れる手術「胃ろう」を多い時で週に2、3回受け持った。この手術は「本当にこなすだけの仕事」で、同僚の間では、誰が一番早くできるかといった話もしていた。

病院で当直中に、胃に栄養チューブを付けて退院した患者が肺炎で再入院する姿を目にするのが日常茶飯事になっていた。意思疎通できていた人が数年後には寝たきりになっていった。そんな光景を見て、高齢者への胃ろうの目的に疑問が沸き始めた。

そうした中、祖母に「胃ろう」が必要かもしれない状況が昨年生じた。しかし「身内にはつくりたくなかった」。徳竹氏は長野市内の飲食店で私に語った。

徳竹氏は、私の祖母が胃ろうを付けて生きながらえていることを書いた記事を読んで連絡をくれた。自分が情報発信をすることで終末期医療や看取りの議論が深まることに貢献できればと思い、体験を話すことを了承してくれた。


全文はリンク先でご覧ください。

私はつとめてこうした医療者の「語り」を読むようにしていますが、医療だけでなく命というものについても教わるところが多いです。

特に、医療者自身や家族が病気になったり亡くなった際のエピソードや、自らの医療観・仕事観に影響を与えた患者のエピソードなどは、非常に参考になります。こう言っては何ですが、下手な宗教家や哲学者の「机上の空論」より、ずっとタメになると思いますよ。

一般の人が普段からこうした話題に興味を持つのは、なかなか難しいかもしれません。でも折に触れて目を通しておくことで、自分がどうしてほしいか考える際の参考になったり、自分や家族が病気になった時への心構えが多少なりともできるのではないでしょうか。「ないよりまし」という程度かもしれませんが。

その意味で、医療者の方には仕事の中での気づきや思いを、積極的に語っていただきたいです。もちろん医師だけでなく、看護師ほかの医療職の方々も。

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