2012年10月31日

【ブログ記事】お葬式は誰のため?


よく出される問いです。



「正解」というのはないでしょうが、葬式の意味、つまり「何のためにやるのか」を考える上では、良いきっかけを与えてくれる問いだと言えるでしょう。

お葬式は誰のため? | 日日是好日 | 彼岸寺

さて、先日「僕はお葬式をするお坊さん」という記事を書かせていただきました。記事を書いたあとも幾つかのお葬式でお勤めをさせていただき、皆さんから頂いたメッセージなども拝読しながらあれこれと考えております。

「お葬式は誰のため?」

このシンプルな問いを毎日のように自問しながら何ヶ月か過ごしてきました。ようやく自分なりの答えが出た気がしています。少しその思考過程を振り返ってみたいと思います。


これはあくまでお坊さんの立場としての思考・回答です。喪主の場合や参列者の場合では、また違ったものになるのではないでしょうか。さらに同じお坊さんといえど、文字通り導師として儀式を司るケースと、葬儀社に呼ばれていわばパフォーマーとして参加するケースでは、立場が全然違いますよね。

世間ではこの問いに対し簡単に「遺された人のためにあるに決まっている」と答える人が多いように思います。でも自分で葬式を出す経験をすれば「それだけ」と言い切るのはためらいを覚えるのではないでしょうか。「故人がこれを見たら喜んでくれるだろう」という思いを持てなければ、葬式のもろもろは茶番劇にしか過ぎなくなってしまいますからね。

さて上記記事の回答です。答えというより、心構えの表明、といった感じですね。

「お葬式は亡くなった人のため」

僕にとって「お葬式は誰のため?」に対する答えはこれに尽きます。この世での命が尽き、いよいよあの世へ赴かんとされているこの時に間違いなく極楽浄土へ往生してもらうために作法を行ないます。お元気だった頃のお姿やお話されていた言葉、お叱りを受けたこと、病状が悪化し弱っていかれた様子、お念仏を熱心にお称えくださるようになったこと、色々なことを思い出しながら。


皆さんはどうお考えになりますか?コメントやトラックバック、歓迎します。

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