2016年03月12日

【新聞記事】昔の葬儀にはもう戻らない?


毎日新聞の連載コラムです。

去年の12月から始まった"「身じまい」のおと"です。今回は、日本葬送文化学会での講演が元ネタになっています。講演したのは、岐阜県の冠婚葬祭業「メモリアグループ」の代表。

葬儀の変化が、「加速度的」かつ「不可逆的」に進んでいる、という指摘です。

「身じまい」のおと:昔の葬儀にはもう戻らない?=社会部編集委員・滝野隆浩 /東京 - 毎日新聞
いま全国で業者が執り行う葬儀は(1)一般葬(2)家族葬(3)直葬(4)ゼロ葬--の4種類。16年前、同じ岐阜県内の人口2万4000人の小さな町で会社を始めたときは、葬斎場での(1)が当たり前だった。ところが、1990年代後半から出始めた、こぢんまりとした(2)家族葬が、急速に増えているという。

・・・

代表の話が興味深いのは、

<(1)→(2)→(3)→(4)>

という流れが、「加速度的に進んでいる」実感だ。業者が葬儀を取り仕切るようになったのは70年代とよく言われるが、<(1)→(2)>の移行が約20年かかったのに対し、<(2)→(3)、(4)>の流れは、ほんの数年で進んだという。しかも、「不可逆的だ」と指摘する。おじいさんの家族葬に満足してもらっても、おばあさんが亡くなったとき喪主の息子が、人をたくさん呼ぶ一般葬で行うかといえばそうでなく、さらに簡素なスタイルになっていく。矢印は常に<→>。だから不可逆的なのだ。
人々が自分たちなりに考えて選択したことであり、その集積がこうなっている、ということなのでこれを良いとか悪いとか言っても仕方ありません。なぜそうなっているのか、そしてこれからどうなっていくのかが気になるところです。

前者について言えば、従来の一般葬に対して意味を感じられなくなっている人たちが増えている、ということかと思われます。特に費用面で。そして簡素なスタイルでやってみれば意外にも悪くない。それどころかかえって満足感が高かったりする、ということがあるのでしょう。

これが進んで「ゼロ葬だらけ」みたいな感じになってしまうのかどうかはわかりません。個人的には、坊さんは呼ばないでその代わりに故人に関わる演出やテーマを取り入れた無宗教の「お別れ会」的なイベントが広まると良いな、と思っていますが、現実はもっと先の方へというかあえて言えば味気ない方へ進むのかもしれません。

安倍政権の(再)発足以来、1960年代から70年代にかけて学生運動していたようなご老人が、またぞろ政治活動にめざめていらっしゃいます。そんなあまり生産的でないことにうつつを抜かすより、老いや死をめぐる日本のこれからの文化を先導してつくっていくことこそ彼ら・彼女らにしていただきたいですね(私は、ああいう人たちの子の世代に当たります)。葬送だけでなく、介護や終末期医療などについても。それが日本の歴史において彼ら・彼女ら世代に課せられた使命だと思うんですよ。


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