2015年08月10日
【プレスリリース】クラブツーリズム、「終活フェスタ2015 in 東京」と海洋散骨を体験する日帰りバスツアーを発売
2015年08月08日
【ニュース】相続診断士の合格者が2万人を突破
2015年08月06日
【新聞記事】奈良新聞コラム「国原譜」
終活について、非常に重要な指摘をしておられます。
「必読」ですし、各自思うところを述べたり議論したりすれば、得るものがたくさんありそうです。短い文章ですので、今すぐ下記リンクをクリックしてください!
今年1月の相続税改正で注目された終活。自分がいなくなった後、家族に迷惑や紛争の種を残したくない。そんな思いが終活には込められている。ただ、自分の葬儀や墓の段取りをつけたり、判断力を失う前に自らの意思をエンディングノートにまとめたり、そんな準備を整え終えたら、人生の続きを有意義に過ごす努力に立ち返りたい。就活や婚活は未来を切り開く取り組み。終活も後顧の憂いを断つだけではつまらない。高齢になっても、高齢だからこそ欠かせない生きるための活動、生活を楽しみたい。
「生活」と「終活」を対比して、後者の意義を認めつつも前者を称揚する。コラムだからレトリックというか言葉あそびみたいな面がないとは言えませんが、この文に共感するシニアは多いのではないでしょうか。
問題は、その「生活」の中身は何か、ということ。コラムでは暗に、終活に割くエネルギーや時間が生活と「ゼロサム」で、あちら立てればこちらが立たぬというのを想定しているように見受けられます。
実際には、充実した人生を送っている人ほど豊かで奥深い「死の準備」をする傾向があると思われます。もちろんこの場合でも、充実した人生あってこその充実した死の準備というのは当然の話ですが(例外はありますよ、きっと)。
老婆心ながら、地方紙のコラムを書いておられるような方にとっての「終活」とは、葬式や墓のことなどではなく、仕事を通じて見聞きしたコトや人について書きとめておくとか、自分の渾身の過去記事をまとめてそれにコメントを付記しておくとか、そういったことじゃないてじょうか。